コラム
第1話 2020/02/29 私と化学物質過敏症

初めまして、新しいホームページを公開することができました。
設計事務所として、建築士として、色々な建築の設計をしたいというのが普通ですが、
私は、化学物質過敏症の患者さんが少しでも楽な生活が暮らせるようにサポートしていきたいと思っています。
私が化学物質過敏症を発症した原因はわかりません。たぶん子供のころからだったような。風邪ひきやすくて、いつもクリニックに通っていた思い出があります。アレルギー性の喘息だったり、とにかく体が弱い子供でした。
大学は美大。プラスチックの焦げるニオイや、接着剤のニオイがいつもプンプンしていて、おまけに写真部。狭い暗室にこもって酢酸や現像液にまみれての部活生活でした。疲れが取れなくて、体がだるく、授業中は、ついつい寝てしまう。そんな学生時代でした。
就職した会社が新社屋。カーペット敷きの社内、新しい椅子に机。しかも研修研修で、会議室に大勢でこもる日々。毎日毎日、体がだるく這うように布団から出て出社。昼休みは、机で寝る。きっと通勤が遠いから疲れているんだ、体の弱い私には無理だったかなと思いながら通勤。余りにも疲れるので、会社と家の中間地点にアパートを借りました。それが新築。ビニールクロス、ビニールの床、ビニールを貼った柱。木造ではありましたが、とてもおしゃれで、玄関から直ぐキッチンではなかったのがお気に入りで。でも空気は最悪だったと思います。ここでも朝は、這うようにして布団を出て出社の毎日。
胃が痛い、胃がいつも重い。凄い便秘。寝て起きると疲れている。こむら返りを起こす。食道が痛い。光がまぶしい。心臓が時々、ぐにゃっとする。水平が見えず、斜めに見える。車に酔いやすい。体がだるいのは、いつも。それぞれの症状を病院で検査しても、どこも悪るいところはない。やっぱり人より体が弱いからだと結論づけていました。結局、あまりにも疲れて、しまいに気がついたら地下鉄に飛び込もうとしていました。そして退社。その後も鬱症状や不安症があり、ただひたすら一日、座っているだけ、泣いているだけの日が続くこともありました。
それでも働かなければならないので、アルバイトで建材販売の営業をしていました。アルバイト先の会社は、社長の友人と3人でワンフロアを借り、営んでいる形式。そこで知り合ったのが先代の高橋でした。知り合っても直ぐに仕事を始めたのではなく、2年ぐらい経ったある日、休眠している会社を起こすので「ちょっと手伝って」と声を掛けられたのが始まりです。
快諾し1994年の秋から、少しずつ準備をはじめ1995年2月にひと・環境計画が正式に設立されました。この新しい会社で何をするのか。「環境と人と健康と」をテーマに何かしようと模索が始まりました。高橋が翻訳した「エコロジー建築」(青土社)を読んだという多くの方が訪ねていらっしゃいました。その中に化学物質過敏症の患者さんがいらして、その方の話を聞いていると、まさしく私の体に起きている症状ばかり。もしやと思い、相模原の北里大学病院眼科の宮田先生に診察をしていただきました。そのころ、化学物質過敏症の診断をしていただけるのは、この大学病院の石川先生と宮田先生だけだったと思います。先生の診察と検査を受け、化学物質過敏症だと判明しました。その時の気持ちは、それまでの数々の体調不良の原因が、化学物質過敏症だとわかって、ほっとしたというのが本音です。決して落ち込みませんでした。この体を使って、仕事ができると思ったのも事実です。
ひと・環境計画が始まってからもパソコンが眩しく感じたり、スクロールをすると見づらく、気持ちわるくなってくる。ちょっとしたことでイライラする。相変わらず体がだるい等々、体は不調でしたので、それが化学物質過敏症となると、大手を振って体調の悪さを訴えられると、少し嬉しく思いました。
私の場合は、発症の明らかな原因はわかりません。たぶん、子供のころ自宅でおこなった白蟻駆除の薬剤のせいではないかと思っています。私の部屋は、床は檜、天井は無機質のものでできているジプトーン、壁は、べニアでしたが、3㎜ほどの化粧べニアなので、多くの化学物質を放散するといったような環境ではありませんでした。ただ、日曜日、家にいると胃がもたれたり、頭がすっきりしなかったりということを覚えているので、シックハウス症候群だったのだと思います。
1996年3月5日に化学物質過敏症と診断されてもうすぐ24年。西新宿に事務所があった時は、体調が悪くても休んだことはありませんでした。目眩で吐き気がしても通っていました。仕事があるから、がんばれる。私は、多くの化学物質過敏症の患者さんに「病気に負けない。気の持ちようで頑張れる」と言いたい。ただその様に思えるまで、回復する努力をしてほしいとお伝えしたいです。
設計事務所として、建築士として、色々な建築の設計をしたいというのが普通ですが、
私は、化学物質過敏症の患者さんが少しでも楽な生活が暮らせるようにサポートしていきたいと思っています。
私が化学物質過敏症を発症した原因はわかりません。たぶん子供のころからだったような。風邪ひきやすくて、いつもクリニックに通っていた思い出があります。アレルギー性の喘息だったり、とにかく体が弱い子供でした。
大学は美大。プラスチックの焦げるニオイや、接着剤のニオイがいつもプンプンしていて、おまけに写真部。狭い暗室にこもって酢酸や現像液にまみれての部活生活でした。疲れが取れなくて、体がだるく、授業中は、ついつい寝てしまう。そんな学生時代でした。
就職した会社が新社屋。カーペット敷きの社内、新しい椅子に机。しかも研修研修で、会議室に大勢でこもる日々。毎日毎日、体がだるく這うように布団から出て出社。昼休みは、机で寝る。きっと通勤が遠いから疲れているんだ、体の弱い私には無理だったかなと思いながら通勤。余りにも疲れるので、会社と家の中間地点にアパートを借りました。それが新築。ビニールクロス、ビニールの床、ビニールを貼った柱。木造ではありましたが、とてもおしゃれで、玄関から直ぐキッチンではなかったのがお気に入りで。でも空気は最悪だったと思います。ここでも朝は、這うようにして布団を出て出社の毎日。
胃が痛い、胃がいつも重い。凄い便秘。寝て起きると疲れている。こむら返りを起こす。食道が痛い。光がまぶしい。心臓が時々、ぐにゃっとする。水平が見えず、斜めに見える。車に酔いやすい。体がだるいのは、いつも。それぞれの症状を病院で検査しても、どこも悪るいところはない。やっぱり人より体が弱いからだと結論づけていました。結局、あまりにも疲れて、しまいに気がついたら地下鉄に飛び込もうとしていました。そして退社。その後も鬱症状や不安症があり、ただひたすら一日、座っているだけ、泣いているだけの日が続くこともありました。
それでも働かなければならないので、アルバイトで建材販売の営業をしていました。アルバイト先の会社は、社長の友人と3人でワンフロアを借り、営んでいる形式。そこで知り合ったのが先代の高橋でした。知り合っても直ぐに仕事を始めたのではなく、2年ぐらい経ったある日、休眠している会社を起こすので「ちょっと手伝って」と声を掛けられたのが始まりです。
快諾し1994年の秋から、少しずつ準備をはじめ1995年2月にひと・環境計画が正式に設立されました。この新しい会社で何をするのか。「環境と人と健康と」をテーマに何かしようと模索が始まりました。高橋が翻訳した「エコロジー建築」(青土社)を読んだという多くの方が訪ねていらっしゃいました。その中に化学物質過敏症の患者さんがいらして、その方の話を聞いていると、まさしく私の体に起きている症状ばかり。もしやと思い、相模原の北里大学病院眼科の宮田先生に診察をしていただきました。そのころ、化学物質過敏症の診断をしていただけるのは、この大学病院の石川先生と宮田先生だけだったと思います。先生の診察と検査を受け、化学物質過敏症だと判明しました。その時の気持ちは、それまでの数々の体調不良の原因が、化学物質過敏症だとわかって、ほっとしたというのが本音です。決して落ち込みませんでした。この体を使って、仕事ができると思ったのも事実です。
ひと・環境計画が始まってからもパソコンが眩しく感じたり、スクロールをすると見づらく、気持ちわるくなってくる。ちょっとしたことでイライラする。相変わらず体がだるい等々、体は不調でしたので、それが化学物質過敏症となると、大手を振って体調の悪さを訴えられると、少し嬉しく思いました。
私の場合は、発症の明らかな原因はわかりません。たぶん、子供のころ自宅でおこなった白蟻駆除の薬剤のせいではないかと思っています。私の部屋は、床は檜、天井は無機質のものでできているジプトーン、壁は、べニアでしたが、3㎜ほどの化粧べニアなので、多くの化学物質を放散するといったような環境ではありませんでした。ただ、日曜日、家にいると胃がもたれたり、頭がすっきりしなかったりということを覚えているので、シックハウス症候群だったのだと思います。
1996年3月5日に化学物質過敏症と診断されてもうすぐ24年。西新宿に事務所があった時は、体調が悪くても休んだことはありませんでした。目眩で吐き気がしても通っていました。仕事があるから、がんばれる。私は、多くの化学物質過敏症の患者さんに「病気に負けない。気の持ちようで頑張れる」と言いたい。ただその様に思えるまで、回復する努力をしてほしいとお伝えしたいです。
第2話 2025/2/12 創立30周年

創立記念日。
30年経ちました。
あの日、こんなになるとは思いませんでした。
30年前、「新たな事を始める」ことにわくわくして始めた会社。
西新宿への引っ越し日を創立記念日とし、本格的に始動しました。
毎日が勉強で、新しいこともどんどん覚えられました。
始める時に約束した「ここから降りない」。
その約束を守って、ゆっくりだけど走り続けてます。
言い出しっぺの本人は、
創立9年を迎える前に降りて、昇っていきました。
「両輪」で走ると思っていた私にとって、
片輪で走るというのは、不安しかなかったけれど、
「約束」を守ることで、「辞める」という選択肢はありませんでした。
時々、あの時どうしてやめなかったんだろうと思うことがあります。
でも、片輪になったから出会えた人たちもいる。
片輪になったから、できたこともある。
「武士は食えねど高楊枝」。
二人で決めたポリシーを守って、辛い時も曲がることなく30年。
しっかりした会社経営はできていないけれど、
この先もポリシーを曲げることなく、終わりまで走りたいと思います。
片輪になって、多くの人に助けられました。
高橋が亡くなって、サっと引いて行く人もいたけれど
変わりなく付き合ってくれた人もいます。
その方々に助られて、続けてこれました。
本当に感謝しかありません。
遺言は「みんなと仲良くやりなさい」でした。
みんなと仲良くやってるよ。
助けてもらってるよ。
そして、あと10年ぐらいは続けようと。
出会った方と楽しい仕事ができればと願います。
ひと・環境計画、30周年。
おめでとう。
元さん、写真だしてごめんよ。
30年経ちました。
あの日、こんなになるとは思いませんでした。
30年前、「新たな事を始める」ことにわくわくして始めた会社。
西新宿への引っ越し日を創立記念日とし、本格的に始動しました。
毎日が勉強で、新しいこともどんどん覚えられました。
始める時に約束した「ここから降りない」。
その約束を守って、ゆっくりだけど走り続けてます。
言い出しっぺの本人は、
創立9年を迎える前に降りて、昇っていきました。
「両輪」で走ると思っていた私にとって、
片輪で走るというのは、不安しかなかったけれど、
「約束」を守ることで、「辞める」という選択肢はありませんでした。
時々、あの時どうしてやめなかったんだろうと思うことがあります。
でも、片輪になったから出会えた人たちもいる。
片輪になったから、できたこともある。
「武士は食えねど高楊枝」。
二人で決めたポリシーを守って、辛い時も曲がることなく30年。
しっかりした会社経営はできていないけれど、
この先もポリシーを曲げることなく、終わりまで走りたいと思います。
片輪になって、多くの人に助けられました。
高橋が亡くなって、サっと引いて行く人もいたけれど
変わりなく付き合ってくれた人もいます。
その方々に助られて、続けてこれました。
本当に感謝しかありません。
遺言は「みんなと仲良くやりなさい」でした。
みんなと仲良くやってるよ。
助けてもらってるよ。
そして、あと10年ぐらいは続けようと。
出会った方と楽しい仕事ができればと願います。
ひと・環境計画、30周年。
おめでとう。
元さん、写真だしてごめんよ。
第3話 2025/3/3 味噌づくり

味噌づくり。
先日、味噌を作りました。
忙しいのだからよせばいいのに、
どーして、こんなことするんだろうと思いつつ、
大豆と向き合いました。
実家にいるのだから、その間に作っちゃえという感じ。
道具もそろっているし・・・
豆と麹と塩は、セットで購入したもの。
安全な豆、塩も自然塩。
今までは、たくさん作っていたけれど、
今回は、1.8㎏の味噌ができる予定です。
初めて自分一人で作りました。
でも大豆セットの中にレシピがあって、
だいたいその通りに作ったので、
思ったほど難しくなかったです。
後は、時々面倒を見るだけ
安心安全な味噌ができるはずです。
半年ぐらい経ったら食べられると思いますが、
来年の誕生日ぐらいにおいしくなっているといいな~。
楽しみ楽しみ。
手で作ること。
少しでも安心・安全な食べ物を。
自分で作るからこそ、見える安全・安心になると思います。
先日、味噌を作りました。
忙しいのだからよせばいいのに、
どーして、こんなことするんだろうと思いつつ、
大豆と向き合いました。
実家にいるのだから、その間に作っちゃえという感じ。
道具もそろっているし・・・
豆と麹と塩は、セットで購入したもの。
安全な豆、塩も自然塩。
今までは、たくさん作っていたけれど、
今回は、1.8㎏の味噌ができる予定です。
初めて自分一人で作りました。
でも大豆セットの中にレシピがあって、
だいたいその通りに作ったので、
思ったほど難しくなかったです。
後は、時々面倒を見るだけ
安心安全な味噌ができるはずです。
半年ぐらい経ったら食べられると思いますが、
来年の誕生日ぐらいにおいしくなっているといいな~。
楽しみ楽しみ。
手で作ること。
少しでも安心・安全な食べ物を。
自分で作るからこそ、見える安全・安心になると思います。